TOについて語り、叩かれて気付いたこと。


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先日、炎上した。『TOって何してるの?仕事まとめてみた。』というタイトルの記事の内容が、どうやらヲタク達にとって突っ込みやすい浅はかな内容だったからだ。多くの反響(批判9割)を集め、1日で28,000PVに達しTwitter、2チャンネルを中心に話題とさせていただいたらしい。らしいと言うのは、僕があまりの批判の声に耐えきれず、殆どの内容を検索する事なく無視して読んでいないからだ。Twitterでエゴサーチし、僕の記事を批判する声を10ツイートほど読み、エゴサするのを僕はやめた。もう十分だ。わかった。安易にTOについて書いてしまった自分が悪かったのだ。だから、もう罵詈雑言はやめてくれ。僕は3日間仕事が手に付かないど疲れてしまった。

そして、あれから約2週間が経った。
ネット上で話題に上げる者も居なくなりほとぼりがようやく冷めました。ふう。叩く時は集中砲火で一斉に叩くが、ヲタク達は引き際も早く、また次のターゲットを探し始めるようだ。そしてようやく文字に起こし、振り返る記事も書く気力も僕自身に芽生えました。

新たに批判も生まれるかもしれないですが、2週間経った今、叩かれた事を振り返って気付いた事を簡単に書きたいと思います。

罵詈雑言を吐いた者は、きっと真のTOでは無いのだと思う。TOだと思い込んでいる、もしくはTOの真似をしてきた古いヲタク、いわゆる古惨なのだと。もちろん今も前線で、生誕や現場を仕切り、推しの為に尽くす素晴らしい古惨も沢山いると思います。しかしここで例に挙げた古惨とは、おじさん世代の年齢で惰性でヲタクをして、叩く対象を見つけた時だけ現れる老害な古惨の事です。彼らはヲタクとして古いだけで「俺は結成当時から(推し)を応援している。」「今のルールが出来た歴史を今のヲタクはもっと勉強すべき。」など、自分の知識をひけらかしたい時や、数の少ない限定グッズを見せびらかす為だけに登場する厄介な存在だ。なぜ飲み会に顔を出しただけで、こちらが特別に挨拶しに行き、頭を下げなければならないのか?ヲタク界のしきたりは不思議でならない。

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だが叩くような心ない声ばかりでは無く、真摯にコメントを返してくれる声もありました。

こんにちは、興味深く読ませていただきました。
お金を使う系(CDを積む、ワンマンライブ等のチケを買ってばらまく、売れ残りグッズを買う等)がないなぁと思いました。
もっと地下になると運営からグッズや告知文の相談を受けたりもありますが、さすがにそこまでのレベルの地下は想定してませんよね?…(^_^;)
いわゆるTOの一番大きな仕事は、生誕祭の仕切りだとおもいます。ヲタク主導の生誕の場合、現場の規模にもよりますが、以下のようなタスクが発生します。

・生誕委員組織構築
・生誕ライブ日程決定のための情報収集
・運営、ライブ会場との交渉
・ヲタク主導の生誕祭グッズの企画・販売
・メッセージカードの手配と収集
・花やケーキの手配
・生誕祭企画と実行、生誕委員の意見調整
・会計(予算管理と集金)
・他界隈との調整
・生誕当日の生誕委員のマネジメント

ざっと思いつくだけでもこんな感じです。
サプライズでやる場合はこれらの事を水面下でやる必要があります。

それなりのマネジメント力と推しへの愛情がないとできないことですね。

嬉しいお言葉です。大変感謝しております。心ない言葉ばかりぶつけられた後でしたので、救われました。他にもツイッターアカウントにDMでコメントしてくれる心優しい方もいました。

彼らはコメントを返してくれましたが、TOとも何も言わないので、実際のところどんな存在なのかは不明です。しかし心温まるお言葉をいただける彼らこそが、TOとなるべき人格者なのだと思う。TOはツイッターの発言もTOなのである。自分の立場や投げかける相手の事を思い発言する。本当の推しに対してもSNSでの発言にも愛がある。それが真のTOなのではないかと気付きました。(以上、ただつらつらと叩かれた恨み辛みを30分かけて書きました。駄文で失礼します。)

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